三郎とおやすみ羊のBMW R1200GSで世界一周の大冒険
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戦場にかける橋 / The Bridge on the River Kwai
Day 903: 2013年1月15日
Kanchanaburi, Thailand (Canaan Guesthouse)
83,981km
「戦場にかける橋」(The Bridge no the River Kawi)
1957年公開で、第30回アカデミー賞を7つも受賞した映画。
読者の方で、この映画をご覧になった方も多いのではないでしょうか?
ワシが子供の頃、よく「何曜ロードショー」などで放映されていました。
生憎最後まで観たことはないのですが、オープニングと、日本軍による戦争捕虜の過酷な使役で英・豪・米軍捕虜がバタバタ倒れていくシーンは覚えています。
その舞台となった橋「クウェー川鉄橋(メクロン河永久橋)」がこのカンチャナブリにあるのです。宿から4〜5キロ、歩いて行けます。
ウィキペディアによると、「泰緬鉄道は太平洋戦争開戦前から建設が考えられており、1942年春の旧日本軍によるビルマ占領を契機として正式に着工された。ビルマ側、タイ側の双方から建設が進められたが、全工程で一番難工事とされていたのが、クウェー・ヤイ川に架ける永久橋の建設とその前後のルートであった。橋梁建設には大量の連合軍捕虜や労務者も投入されたが、設計など建設の主体となったのは鉄道第九連隊第三大隊第五中隊だった。主だった部分はジャワ島などから移設されることとなったが、クウェー・ヤイ川の急流のために建設は難航。そこで、永久橋完成までの間に使う資材運搬用の橋梁として、永久橋の下流に木製の橋梁が急遽架けられる事となった。木橋は1942年12月には完成し、次いで永久橋も1943年5月には完成した。泰緬鉄道の全通は同年10月のことである。泰緬鉄道は完成を急ぐため、あらゆるところで規格が落とされたが、海上ルートが半ば途絶したビルマへの唯一の補給用ルートとして重要な鉄道となった。とはいえ、強度不足が原因による転落事故も頻発していたようである。」
この橋、そして鉄道の建設に英・豪・米・蘭の戦争捕虜を始め、アジア各地からの多数の労働者の生命が失われのです(80,000名もの方が亡くなった、と言われています)。
今日はケン・ユミ夫妻とその橋に行ってみよう、と。
本当は朝から橋まで歩いていくと気温も高くなくて良いのですが、お昼にサイトウさんが海苔巻きを巻いてくださるというので、それから、ということに。
サイトウさんは流石に本職の方だけあって、太巻きの見た目も味も素晴らしい!ご馳走様でした!!
さて、橋まで歩きますか。
本街道を北へ。炎天下の中を行く。暑い…。
途中に建設中に生命を落とされた戦争捕虜の方々の墓地が。
7,000名もの方がここで永眠されています。
オーストラリア軍の方々も。オーストラリア国旗が備えられていて、過酷な運命に耐え、そして亡くなった祖国の英雄を偲んでオーストラリア人がここを訪れていることがわかります。
橋はここから更に北にあります。
鉄道の線路が見えると、本街道から左折。そうすると、線路の向こうに水牛の群れが。
我々が進んで行くと、こちら側に渡って来ました。道路を横切る水牛。
そしてしばらく歩くと、機関車が見えてきました。
トラックを改造した列車もあります。
そして、橋へ。
これが、かの有名な「戦場にかける橋」です。
ヒツジも感慨深げです。
小雨リラックマも。
この橋は今も現役で(大戦中のオリジナルは英軍の爆撃で一部破壊されましたが、戦後に日本とタイで修復したのです)、列車が運行しています。
徒歩でも橋を渡れるので、対岸へ行ってみました。
現代の技術だと大した橋でも無いのですが、当時の機材、自然条件、労働条件、そして工期(1年)を考えると、立派な橋です。
午後の陽射しは厳しく、街から歩いてきただけでも、もうクラクラしきそう。
食事も満足に与えられず、衛生状態も悪い中で重労働を強いられた捕虜の方々は如何に大変だったか。想像を絶します。
冷たいコーラを飲んで、一息。
しかし、映画の邦題は「戦場にかける橋」ですが、実際ここはタイ領内。戦場ではなかったのです。
意外に知られてないかもしれませんが、タイ王国は大日本帝国と同盟国で、日本に協力し第二次大戦を戦っているのです。なので、タイも敗戦国なのですが、米・英への事前の根回しなどで(まぁ、日本に対する裏切り行為ですが)、敗戦国として処理されなかったのです。
おそらくそのためにベトナム戦争時に積極的に米軍の便宜を図ったのでしょう。
近くに戦争博物館があるので、行ってみました。入館料40バーツ。
まぁ、あんまり期待はしてなかったのですが、かなり適当な展示。
シリアスなトピックを扱っているのですが、人形などがちょっと間が抜けていて、吹き出してしまう。
日本兵なんて、ちょっと出来過ぎ。バイクはBMW製。ドイツは同盟国ですからね。
日本とタイがイギリスを追い出している図とか。ケツめどにズボリ!と。
戦争関係の他にも、タイの紙幣やコイン、仏像なども。
どうやら、ここの博物館はある中華系タイ人の一家が創ったみたいで、彼らの個人所有のものが、乱雑に展示してある、という感じ。
本や雑誌なども展示されているし。
面白かったのは歴代ミス・タイの絵。ガイドブックにはマネキン、と書いてあったのだけれど。
どのミス・タイもおばちゃんにしか見えない…。
歴代タイ王室の肖像は少女漫画のタッチだし。
「ベルサイユの薔薇」か?
一体何を目指したのかが解らない内容。
入館料は安いので、一見の価値はあります!
再び炎天下の中を宿まで歩く。
シャワーを浴びて、しばらく休憩したら、今日は鍋の食べ放題!
タイ式すき焼きの「タイスキ」。
1人129バーツ(400円足らず)!
さぁ、食うぞ!
旨いけど、何種類かの肉が、焼肉に向いている味付けで、これが邪魔をする。
まぁ、お腹いっぱいに食べて、動けなくなりましたけど!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
アジアには我が国が残した功績、爪痕が沢山あるのです。多くの日本人観光客がタイを訪れていますが、今日橋では我々以外の日本人見かけませんでした。
我々日本人も歴史の見識を深くし、そこから学ばなければいけませんし、また世界の方々とその上で付き合って行き分かり合わなければいけないと考えます。
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1957年公開で、第30回アカデミー賞を7つも受賞した映画。
読者の方で、この映画をご覧になった方も多いのではないでしょうか?
ワシが子供の頃、よく「何曜ロードショー」などで放映されていました。
生憎最後まで観たことはないのですが、オープニングと、日本軍による戦争捕虜の過酷な使役で英・豪・米軍捕虜がバタバタ倒れていくシーンは覚えています。
その舞台となった橋「クウェー川鉄橋(メクロン河永久橋)」がこのカンチャナブリにあるのです。宿から4〜5キロ、歩いて行けます。
ウィキペディアによると、「泰緬鉄道は太平洋戦争開戦前から建設が考えられており、1942年春の旧日本軍によるビルマ占領を契機として正式に着工された。ビルマ側、タイ側の双方から建設が進められたが、全工程で一番難工事とされていたのが、クウェー・ヤイ川に架ける永久橋の建設とその前後のルートであった。橋梁建設には大量の連合軍捕虜や労務者も投入されたが、設計など建設の主体となったのは鉄道第九連隊第三大隊第五中隊だった。主だった部分はジャワ島などから移設されることとなったが、クウェー・ヤイ川の急流のために建設は難航。そこで、永久橋完成までの間に使う資材運搬用の橋梁として、永久橋の下流に木製の橋梁が急遽架けられる事となった。木橋は1942年12月には完成し、次いで永久橋も1943年5月には完成した。泰緬鉄道の全通は同年10月のことである。泰緬鉄道は完成を急ぐため、あらゆるところで規格が落とされたが、海上ルートが半ば途絶したビルマへの唯一の補給用ルートとして重要な鉄道となった。とはいえ、強度不足が原因による転落事故も頻発していたようである。」
この橋、そして鉄道の建設に英・豪・米・蘭の戦争捕虜を始め、アジア各地からの多数の労働者の生命が失われのです(80,000名もの方が亡くなった、と言われています)。
今日はケン・ユミ夫妻とその橋に行ってみよう、と。
本当は朝から橋まで歩いていくと気温も高くなくて良いのですが、お昼にサイトウさんが海苔巻きを巻いてくださるというので、それから、ということに。
サイトウさんは流石に本職の方だけあって、太巻きの見た目も味も素晴らしい!ご馳走様でした!!
さて、橋まで歩きますか。
本街道を北へ。炎天下の中を行く。暑い…。
途中に建設中に生命を落とされた戦争捕虜の方々の墓地が。
7,000名もの方がここで永眠されています。
オーストラリア軍の方々も。オーストラリア国旗が備えられていて、過酷な運命に耐え、そして亡くなった祖国の英雄を偲んでオーストラリア人がここを訪れていることがわかります。
橋はここから更に北にあります。
鉄道の線路が見えると、本街道から左折。そうすると、線路の向こうに水牛の群れが。
我々が進んで行くと、こちら側に渡って来ました。道路を横切る水牛。
そしてしばらく歩くと、機関車が見えてきました。
トラックを改造した列車もあります。
そして、橋へ。
これが、かの有名な「戦場にかける橋」です。
ヒツジも感慨深げです。
小雨リラックマも。
この橋は今も現役で(大戦中のオリジナルは英軍の爆撃で一部破壊されましたが、戦後に日本とタイで修復したのです)、列車が運行しています。
徒歩でも橋を渡れるので、対岸へ行ってみました。
現代の技術だと大した橋でも無いのですが、当時の機材、自然条件、労働条件、そして工期(1年)を考えると、立派な橋です。
午後の陽射しは厳しく、街から歩いてきただけでも、もうクラクラしきそう。
食事も満足に与えられず、衛生状態も悪い中で重労働を強いられた捕虜の方々は如何に大変だったか。想像を絶します。
冷たいコーラを飲んで、一息。
しかし、映画の邦題は「戦場にかける橋」ですが、実際ここはタイ領内。戦場ではなかったのです。
意外に知られてないかもしれませんが、タイ王国は大日本帝国と同盟国で、日本に協力し第二次大戦を戦っているのです。なので、タイも敗戦国なのですが、米・英への事前の根回しなどで(まぁ、日本に対する裏切り行為ですが)、敗戦国として処理されなかったのです。
おそらくそのためにベトナム戦争時に積極的に米軍の便宜を図ったのでしょう。
近くに戦争博物館があるので、行ってみました。入館料40バーツ。
まぁ、あんまり期待はしてなかったのですが、かなり適当な展示。
シリアスなトピックを扱っているのですが、人形などがちょっと間が抜けていて、吹き出してしまう。
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日本とタイがイギリスを追い出している図とか。ケツめどにズボリ!と。
戦争関係の他にも、タイの紙幣やコイン、仏像なども。
どうやら、ここの博物館はある中華系タイ人の一家が創ったみたいで、彼らの個人所有のものが、乱雑に展示してある、という感じ。
本や雑誌なども展示されているし。
面白かったのは歴代ミス・タイの絵。ガイドブックにはマネキン、と書いてあったのだけれど。
どのミス・タイもおばちゃんにしか見えない…。
歴代タイ王室の肖像は少女漫画のタッチだし。
「ベルサイユの薔薇」か?
一体何を目指したのかが解らない内容。
入館料は安いので、一見の価値はあります!
再び炎天下の中を宿まで歩く。
シャワーを浴びて、しばらく休憩したら、今日は鍋の食べ放題!
タイ式すき焼きの「タイスキ」。
1人129バーツ(400円足らず)!
さぁ、食うぞ!
旨いけど、何種類かの肉が、焼肉に向いている味付けで、これが邪魔をする。
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