三郎とおやすみ羊のBMW R1200GSで世界一周の大冒険
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Day 222~231: 2011年3月3日~12日
Medellin - Bogota - Mexico City - Paredon - Mexico City - Bogota - Medellin
29,991km
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おそくなりましたが、今回の東北大地震で災害にあわれた方にお悔やみを申し上げます。会う人事に、僕が日本人だとわかるとお悔やみをいただきます。世界中が日本を心配してくれています。本当にありがたいです。
僕は無力で今のところこのことに対して何も出来ていませんが、みんなで団結してこの災害を乗り越えていきましょう。
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えー、先週北の方に行くと言って1週間ばかしブログを更新しませんでしたが、実はメキシコに行ってました。ボゴタまでバスで行き、飛行機でメキシコ・シティ(DF)へ。DFからバスに乗ってパレドンへ!
パレドン???って思われる読者の方々もいらっしゃると思います。そうです、パレドンと言えばクライディー。オスタル・メデジンの女将クラウディアではありません。1月末にパレドンで別れてから、メールやFacebookでやりとりしてたのですが、カルタヘナに到着してから、やはり「合流したい」ということになり、何故だかワシが迎えに行くことに。
2011年3月3日(木)
メデジンから首都ボゴタまでバスで9時間(メデジンから飛ぶと高かったのでボゴタから飛ぶことに)。7時45分に出発し朝4時半ごろボゴタのバスターミナルに到着。寝ぼけ眼でメデジンまでの帰りのバスの時間を調べてからタクシーで空港まで。飛行機でDFまでは4時間半。空港でクライディーと待ち合わせしていましたが、何故だか到着ゲートに彼女の姿は無く、携帯で連絡を取り合ってようやく再会。ターミナルを間違っていたそうです・・・。まぁ、飛行機に乗ったこと無いので仕方無いっていえば仕方無いですが。
久しぶりの再会は、まぁ、嬉し恥ずかしでしたね。
電車でセントロまで出て、DFの秋葉原でiPodの修理を頼みましたが、「どうやら駄目みたい」と言われる・・・。まぁ、パレドンから帰ってきてから受け取るからじっくり調べてもらうことに。
バス停に電車で行き、トナラ行きのバスチケットを買おうとするも、すでにバスは出発したとのこと。近く(とは言っても2時間くらい離れてる)フチタンという街までのバスに乗ることになりました。
フチタンでバスを乗り換えアリアガまで。写真はフチタンでバスを待っているクライディー。アリアガからコレクティーボ(乗り合いタクシー)でトナラまで。トナラからパレドンまでまた違うコレクティーボでと、合計42時間の旅でした。あーー、疲れた。
2011年3月4日(金)写真はトナラに到着したワシ。コロンビアを出る前に鬚を短くしました。何で?かといいますと、はい、クライディーの要望です・・・。鬚面にベレー帽、コロンビア姉ちゃんに大人気だったのに・・・。
はい4度目のパレドンです。恐らくパレドンに4回も来た日本人はワシが初めてでしょう。クライディーの実家に到着して、半そでに着替えて一服。早速お父さんはまだ帰ってきていないのでお母さんと歓談。
それから親戚が訪ねてきたり、こちらから訪ねたり。従姉妹ジュニはパン屋さんなんですが、そこでパン作りを手伝ったり(というか遊ばせてもらったり)。夕方にお父さんが帰ってきたのでお話を。「む、娘さんを旅に連れて行ってイイですか???」って感じで聞きますが、「まぁ、それは明日にしよう。」と・・・。うーん、お許しは出るのか???
2011年3月5日(土)
今日は土曜日なので家族というか親戚一同で朝から教会に。ピックアップの荷台に雑魚乗りして教会まで。結構離れてますね。全部スペイン語なので、まぁ、よくわかりませんが長閑な感じですね。歌ったり、話を聞いたり、周りの人と話をしたり。それにしても、ワシは注目の的です。そりゃそうですよね、アジア人が1人紛れ込んでたら目立ちます。子供が寄って来ていろいろ質問してきます。子供は可愛いなぁ。まぁ、こんな体験もなかなか出来ませんよね。クライディーに感謝しないと。
一旦お昼を食べに家に戻り、みんなでエンチラーダを。それから3時前に教会へ。すごいな、1日教会か。でも他にやることも無いのかな?確かにみんな敬虔なんだけど、気張ったところがないんですよね。午後の部はみんなで討論会。ヘラルド叔父さん、デルベル叔父さん、従姉妹のクラリタまで発言してなかなかの盛り上がり。たぶんテクノロジーについての討論です。
こうして夕方になり、1日は暮れて行きます。なんか土曜日1日を教会に費やすなんてもったいない、って考えてしまいそうですが、これはこれでいい時間のすごし方ですよね。家族や周りの人と一緒に過ごすのは素晴らしいことです。我等日本人が今最も必要としていることなのではないでしょうか。
家に戻りお父さんとお話を。なんだかクライディーを連れて行くのにはお許しが出たみたいですが、まだまだ正式な恋人としての許可はおりてないみたいです。うーん、スペイン語では込み入った話になると未だに問題ありです。情けない…。
夜は従兄弟のジャフェたちとサッカー。流石に10代の若者たちと走り回る体力は無いので、ゴールキーパーとして活躍。昔取った杵柄。1点も入れさせませんでした。ちょっとやりすぎましたかね、明日肩と手首が筋肉痛に」なりそうです。
流石にお腹がすいたので、パレドンのセントロで(セントロがあるんです、パレドンにも!)巨大ハンバーガーを買って食べながらエリアス叔父さんの家でDVD鑑賞。The Day after tomorrowというディザスタームービーです。明日は親戚一同で(と言っても全員ではありませんが)海に遊びに行くことに。何故だか費用はワシが持つとのこと。
2011年3月6日(日)
海だぁー!!!っていってもパナマ~コロンビア間で嫌というほど海味わったのでそんなにエキサイティッドではないですが。クライディーの家にみんなで集合。準備が整うまでみんなでワイワイ・ガヤガヤ。本当に幸せそうなんですよね、クライディーの家族。パレドン、なんも無いって言えばなんもないんですけど、幸せがそこにあるんですよ。日本は色々設備も整ってますしモノにもあふれていますが、なんだか幸せを感じることが少ないような気がします。70年前に戦争まで起こして必死で国づくりをしてきましたが、「幸せ」感は努力ほど報われてないような気がします。待ってる間「本当の幸せってなんなんだろう?」って深く考えさせられました。
へラルド叔父さんのピックアップFord F150に総勢24人乗っていざマードレ・デ・サル(Madre de Sal。“塩の母”という意味)へ。流石メキシコの田舎ですな。これは日本やオーストラリアでは許されませんね。直ぐに警察に捕まります。安全を重視した「先進国」がいいのか、必要に応じて規則もなぁなぁになるメキシコがいいのか。
結構時間掛かりますね。途中にプエルト・アリスタ、シエロ・デル・トロなんて多少有名なビーチリゾートがあるんですが、更に先のマードレ・デ・サルへ。ここはなんで「塩の母」と言われているかというと木の葉っぱから塩が取れるんです、というかある種の木が塩水で育つんです。木も葉っぱも塩を含んで白っぽいし。これは面白い。あ、写真撮るの忘れた・・・。
駐車場から小船に乗り換えビーチまで。海の家みたいなのがあってそこに荷物を置きます。ビーチ自体はそんなにキレイじゃないんですが(というかサンブラス諸島を最近経験してるからそう見えるだけかも・・・)、クライディーや従兄弟たちと海ではしゃぎます。ランチを食べたり、ハンモックで寝たり。1日楽しかったですよ。
2011年3月7日(月)
今日はパレドンを去る日。。朝トナラにバスのチケットを買いに行き、親戚の家をめぐります。クライディーもしばらく家族に会えなくなるので、心中は複雑ですよね。おばあちゃんの家はランチョ(Rancho)と言って七面鳥や鶏を沢山飼っています。ちょうど雛を買いに来た人がいたのでみんなで雛を捕まえます。うーん、三郎、捕まえるのが下手です。一匹子犬がいたので遊んでいたら、えらく懐きました。丁度クライディー家の番犬デルフェィン(イルカっていう意味)が14歳で老犬なのでこの子犬をもらっていくことに。名前はフニオール。チワワとなんかの雑種ですかね。あんまり番犬としては期待できないような・・・。
パレドンの村役場で秘書をしているクライディーの親友グラシエラを訪ねたり、従姉妹のジュニの家でまたパンを作ったり。それにしてもパン作りのおばちゃんたちに人気があります、ワシ。あ、そうそうデルベル叔父さんに「お前お父さんにちゃんと恋人としての許可を得たのか?」と聞かれて「うーん、それはまだみたい。もっと知り合わないとねぇ」と答えたら、お父さんが「あー、こいつやっぱりわかってなかったか・・・」と首を振ってます。クライディーが「許しは出たのよ。だから昨日みんなで海にお祝いに行ってあなたが払ったの!」と。ビックリでs。お母さんも「昨日お祝いしたから、結婚式はパレドンでやらなくてもいいのよ!」と!はい、お父さんお母さんワシの力の及ぶ限りクライディーと幸せに旅します!
さてとバスは午後8時の出発なので7時ごろ家をでます。へラルド叔父さんがまたピックアップでトナラまで送っていってくれました。なんかワシまで別れるのが寂しくなります。クライディーは本当にいい家族に恵まれて幸せですね。みなさん、ちゃんと無事にクライディーをパレドンに連れて戻ってきますので心配なさらないように!
2011年3月8日(火)
バスに揺られて翌朝DFに到着。ダンボールに詰め込んだお土産の冷凍魚が重いのなんの。メトロを乗り継ぎ先ずはクライディーの叔母さんの家まで。お土産とクライディーの荷物を置いて今度はセントロへ。今回もペンション・アミーゴでなくサンフェルナンド館に宿泊。ドミです。でもアミーゴに行って旧友の神藤井、トクさん、Yoshi、そしてパスちゃんとゴンちゃんに挨拶。今日は会えませんでしたが、ゴウスケやカオルさんまでいるそうです!アミーゴの顔ぶれは11月の頃と殆どかわりません!!
iPodを取りにいくも、やはり修理は無理とのこと。Apple Storeに行かなければ直らないそうです。でもメヒコでは修理代高いので他の国で修理したほうがいいよと。しばらく日記書くのと音楽を聴くのがめんどくさくなりますね。
ソカロの近くでクライディーの登山靴を購入。バイクに乗るのにもいいですし歩くのにもいいので登山靴は重宝します(でもワシは普通のバイクブーツ)。
クライディーは叔母さん宅に帰ったので夜飯は神藤井と中華の食べ放題。神は相変わらず面白いです。ホント好きだなぁ。宿に戻りシャワーを浴びて洗濯。パレドンで脚を蚊に刺されまくったのでかゆくてあんまり眠れませんでした。
2011年3月9日(水)
今日は11時に待ち合わせしたのにクライディーなかなか現れません。12時近くまで待ちました。流石はメヒカーナ、時間にはルーズです。
テピートに行き旅先で見るDVDや風防に貼るメキシコ国旗のステッカーやその他小物を購入。やっぱりテピートは楽しいなぁ。
ペンション・アミーゴに行ってクライディーはゴンちゃんと映画を見に。ワシはパスちゃんや旧友と歓談。今日はカオルさんにもゴウスケにも会えたし言うこと無し。
テキーラ“Don Julio”をお土産に持ってクライディーの叔母さん宅へ。夜はこの地域は危険だとのことで叔母さん宅に泊まりました。夜寒かった・・・。
2011年3月10日(木)
寒くて4時ごろ目が覚めました。寝ようと試みますが寒さと蚊に刺された後が痒くて眠れず・・・。蚊に刺されてこんなに後を引くなんてめったに無いです。パレドンの蚊、やるな。
8時になりましたがクライディーはまだ寝てるので一旦独りでサンフェルナンド館まで戻りました。朝飯を食べた後うたた寝。昼頃にインターネットカフェに行って明日の飛行機のWeb Check-inを済ませてチケットをプリントアウト。
クライディーと4時ごろに落ち合ってセントロをデート。本当はレオン・トロツキー博物館などに行きたかったのですが、時間が無いので行けませんでした・・・。
明日の飛行機は2時半なので一応安全を期して11時前にはサンフェルナンド館に来るようにと約束して今日は別れました。
宿に戻り他の宿泊者と歓談。12時前に就寝。
2011年3月11日(金)
寝ている間に日本では大変なことが・・・。朝起きたらみんな地震の話題で持ちきりです。東北沖で大地震があり津波で相当な被害が出たとのこと・・・。関東にも震度5から6の地震があり被害が出たと。マジかよ・・・。
ネットでみんな情報を集めます。ワシはコンピュータを持ち合わせてなかったので宿のPCで母の携帯にメールを送り、返事を待ちます。幸い家族は無事でした。しかし東北での被害はますます広がるばかり。原発も冷却機関が破損したとのことで危険な状態・・・。
とりあえずここにいても出来ることがないので、南米の地図を探しにインスルヘンテスまで。富永地図にはここに地図専門店があるとありましたので。歩いて30分ほど。しかし地図屋らしきものはありません。周りの店の人に聞きますが違うところにあると言ってます。そちらのほうに行ってみましたが、やはり無し。もう10時になるので諦めて宿に。
出発の準備は出来ているのであとはクライディーを待つのみ。ネットで日本の状況を確認しながら待ちます。
しかし・・・、11時を過ぎても11時半を過ぎてもクライディー来ません・・・。日本のこともあり、クライディーにもなんかあったのではないか、と気が気でありません。特に叔母さん宅近辺は危ないというし。
12時前にようやくクライディー到着!あー、本当に心配したよ!メトロで空港まで行きチェックイン。イミグレを通りと通関して搭乗ゲートへ。クライディーは初飛行機です。興奮してるかと思いきや、そうでもありません。やはり家族と会えなくなるのが寂しいそうです。
離陸してしばらく外を眺め、映画を見てたら、なんか外の景色がパレドンの周辺みたいなんです。というかパレドンに間違いありません。しばらく写真を撮るのを忘れて2人で見入ってました。窓に傷が入ってるのでよく見えませんがパレドンです。
ボゴタには午後7時半に到着。イミグレも通関も問題なく通過しタクシーでバス停まで。8時45分のバスに乗ってメデジンまで。
2011年3月12日(土)
ようやく戻ってきましたメデジン。6時半にバス停に到着。7時前にオスタル・メデジンに帰ってきました。
個室は空いてないとのことで、とりあえず1号室のドミを2人だけの部屋としてあてがわれました。早速2度寝。
お昼前に起きて先ずは実家にスカイプで電話。地震のことを聞いたりクライディーのことを報告したり。
その後スーパーマーケットのエクジト(EXITO)に食料その他を買出しに。ヒゲを完全に剃れとの指令が出たので髭剃りも購入。2年ぶりくらいにヒゲを完全に剃りました・・・。
疲れてなければセントロまで行ってちょっと観光でもしようと思ってましたが、出かけたのが4時。天気も悪くなりそうですし、カルフール(もう1つのスーパーマーケット)に行ってうろちょちょろ。「せっかくの初海外なのにスーパー巡りはひどい」と、クライディーむくれておりました。さてと、この先色々大変だなぁ。
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起き津波、原子力発電所のことも
あり犠牲者もかなりの数になっており
ます。幸い東京近辺は大事にいたって
おりませんが今回の事でいつ何が起こるかわからないと思いました。
三郎さんもお気をつけて旅を
続けてください。
前のコメントにもあるように、東北で世界最大規模の地震が起きました。津波の被害がひどく、死者が万人単位になるだろうと言われています。
ご家族や親戚、友達が無事であること祈っています。
これからも旅、気をつけてしてくださいね。
丁度メキシコシティの日本人宿に泊まっていたのですが、朝起きたらみんなが騒いでるので…。津波、余震、原発など2次災害も心配です。海外にいて全くこのことに対して無力な自分が腹立たしいです。が、今回の災害をバネにして日本が団結していってくれればと願っています。
会う人々に日本の不幸にお悔やみをいただきます。「ああ、世界は1つなんだなぁ」と感じます。
旅は全く新しい形になりましたが、これからも楽しんでいきたいと思っております。引き続き応援よろしくお願いいたします!